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くすぐったい感情が漏れ出たのは、「あいまいえ」というホームの力(廣瀬翼|ライティングゼミ)

time 2017年09月19日

くすぐったい感情が漏れ出たのは、「あいまいえ」というホームの力(廣瀬翼|ライティングゼミ)

本記事は、6月ライティングゼミのワークを通して執筆し、7月ライティングゼミでシェアしたコラムです。
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「お、つーちゃん!飲む??」

 

5月と6月、“あいまいえ”で大智くんと出くわすたびに声をかけられた。そう言う大智くんは、きまってワクワクした笑顔をしている。私はちょっぴりきまり悪く、ちょっぴり戸惑って「飲まない!」と逃げていた。

 

「つーちゃん、飲むと面白いのに。恋愛トーク、またする?」

 

私はさらにきまり悪くて、ちょっとむくれる。そこで大智くんはケラケラ笑って「またね」と言う。こんなやりとりが、何度あったろうか。

 

***

 

普段は恋愛トークなんてしない。どちらかというと、バカにしてきた方だ。中高時代から、恋愛トークは「俗っぽい」というイメージを持っていた。大学の飲み会でも、恋愛トークにはあまり参加せず、端っこの方で食や文化や政治……いわゆる「堅い」話をしてきた人種だ。

 

高校時代はずっと部活の友達と一緒にいて、恋愛なんてどこ吹く風だった。部活友達と一緒にいる時間をいかに増やすか、一緒に笑いあえるネタをどれだけ見つけてくるか(大阪特有の文化かもしれない)が生活の中心だった。

 

大学に入ってからは、気後れしていたという方がしっくりくる。まったく話に入り込めず、しらけさせてしまうのだ。この頃の私は、どこか人間関係を恐れ、周囲と一定の距離を取っていた。恋愛上の「好き」という感覚も理解できなかった。

 

やっと腹を割って話せる友達関係が大学や所属していた学生団体で築けた感触を持てたら、今度は話すのも聞くのもどこか「恥ずかしい」という感情が生まれた。「知らない世界」過ぎたのだ。そもそも、好きかもしれないとやっと思えてきた人がいるところで恋愛トークをされたって、何も話せない。

 

かくして、自分のくすぐったい感情の内を人に共有するのが苦手な私が出来上がっていった。

 

その私が、なぜ毎回「飲む?」「恋愛トーク、する?」と誘われていたのか。単純だ。あいまいえで飲んでいたとき、見事も見事にそのパンドラの箱がパッカーンと開いてしまったのだ。

 

***

 

その日は宿泊予定だった。ご飯も終わって、のんべんだらりと話しながら飲んでいたのは、大智くん、かまきち、私。他に数人いた気もする。決してお酒のせいで記憶が薄くなっているのではない。既に2カ月ほど前だから記憶が薄いだけだ。

 

なぜ、恋愛トークになったのかも覚えていない。決してお酒のせいで記憶が薄くなっているのではない。既に2カ月ほど前だから記憶が薄いだけだ。

 

覚えていないけれど、話を振られて、急にポロポロと話しだしたことは確かだ。

 

「もう、いいの。私は2番でいいの。1番じゃなくていいの」


そう、語り出したらしい。

いや、「らしい」じゃない。ちゃんと覚えている。なぜそんなことを口走ってしまったのかと、穴があったら隠れたい気分だ。

 

しかも、一度じゃない。相当酔っていた私は、ときに人がいない方向を見つめ、ときに枕に突っ伏しって話していたという。

いや、「という」じゃない。人がいない方向に話しかけていたかは覚えていないけれど、枕に突っ伏しって大きなひとり言のようにしゃべっていた記憶はある。あぁ、もう消えたい。

 

「でも、やっぱり甘えたいようぅ」


これも枕に向かってつぶやいて、バタバタしていた記憶がある。もう、ほんとに、黙ってくれ過去の私……。

 

私にとって救いだったは、この場にいた人たちが「飲むと面白い」と可愛がってくれたこと。私にとって辛かったのは、会うたびにネタにされて「酔うと人がいない方に向かって話し出す」と言われ続けたことだ。

 

***

 

自分でも後日振り返って驚きだった。

 

驚いたのは、発言の内容でも、奇怪な行動の内容でもない。「そんな自分が漏れ出すぐらいに、リラックスしきっていたんだ」ということが驚きだった。

 

そこまで強いお酒を飲んだわけでもない。そんなに量を飲んだわけでもない。時間も時間だったし、そこそこ疲れてはいたから酔いやすくはあったけれど、これが外のお店であれば、そんな変な行動はしていない。

  

完全なる安心感。ガードの取り払える信頼感。私にとって、“あいまいえ”のリビング空間は、「ホーム」だった。大切な居場所となっていた。

 

***

 

そんな“あいまいえ”で大黒柱と呼ばれていた大智くんは、先月(6月)次なるステップへの一歩を踏み出し、“あいまいえ”を旅立った。目まぐるしい日々の中で、思ったよりもあっという間で、思ったよりも急だった。

 

少しだけ、毎度のお酒の誘いを断ってきたことを後悔した。

 

どこかで、ずっと変わらず続くような気がしていた。ヒトノマや夜のイベントに足を運べば、住人のみんながいてくれて「おかえり」と言いあったり、泊まれば朝顔を合わせて「おはよう」と言いあったり。定期的に「飲む?」と誘われ、何度かは断るのだけれど、宿泊する日は一緒に飲んで、また恥ずかしい思いをする。そんなことが、続くような気がしていた。

 

それは、幻想だった。今ある、今の楽しみで、幸せで、瞬間だった。

 

***

 

ワークルは、みんなが少しずつ変化の中にいる。サナギになるため一生懸命に糸を巻き付けている段階かもしれない。サナギから羽化するためにジッと耐えている段階かもしれない。殻を破ろうと格闘している段階かもしれない。サナギから大きく羽根を広げ風に震わせている段階かもしれない。人によって様々だけれど、みんな何かしらの変化の中にいる。

 

今一緒に話している仲間も、いつ旅立つか分からない。私だって、今後キャリアも生活もどう変化していくか分からない。状況は、少しずつ、けれど確かに変化を迎えている。

 

だからこそ、もっとワークルのみんなと一緒にいる時間を、拾い抱きかかえるように大切にしたい。ひとりひとりと、もっと話して、もっと触れ合って、あるいは言葉にせずにじっと一緒にいて呼吸を合わせて。そうして、つながりたい。みんなといる一瞬一瞬を、特別にして、輝かせたい。その一瞬は、今この時しかないから。

 

私自身は、働き方が変わったとしても、2020年までは東京にいるつもりだ。大学で上京した時から「パラリンピックが開かれる街を生で体感したい」という強い希望があるから、それまでは東京にいたい。そして、東京にいる限りワークルにも“あいまいえ”にも顔を出し続けると思う。

 

夢に向かって飛び出していった人たちが帰ってきたときに、ひょこっと顔を出して「久しぶり!」と変わらず話せるといいな、と夢見ている。

 

また大智くんが帰ってきたら、今度は私から声をかけてみよう。「今日、飲む?」と。

執筆:廣瀬翼@wingYORK930
2016年5月ワークル入会。ワークル内ではヒトトナリ編集部、ライティングゼミのゼミ長、本『「言葉にできる」は武器になる』を基にしたワークショップの発案・運営などを行っています。2017年現在社会人2年目。社員は社長(大先輩)と自分の2人という環境で、食物アレルギー対応の旅行の運営・普及に奮闘中。趣味は、写真・Twitter。食物アレルギー対応旅行の情報をまとめたwebマガジンを始めました。
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